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「復興とは何か」

03.12 Wed | Category: COLUMN


あれから3年の歳月が経ちました。それに関連して、市民シンポジウム「3.11 復興の現場から明日を考える」があり、拝聴して参りました。復興支援プロジェクトのリーダーをされていた方の講演からは、言葉にならないご苦労も伝わってきました。当然、広大な範囲を復興する訳だから、ボリューム的な問題だけでもさる事ながら、予期せぬ問題が発生することもしばしばで、管轄が国と県に分かれていることで手続きがスムーズに進まないケースがあったり、資材価格の変動による入札不調など、様々な問題も加わり、復興にはまだまだ時間は要することでしょう。結局、復興とはどういう状態であるのかという本質的な問題があります。支援をするのも受けるのも人間なのです。状況を伝えようとするマスコミの報道に集まる声が、現場にはプレッシャーとなって巡ってくることには大変な心労があるようです。現場では、誰もが一生懸命に取り組んでいるということを感じました。

復興に携わる現場の方々を含めた被災地の人々のメンタルの問題

東北の復興が、日本の目指すべき方向の道しるべとなればいいと思いながら、3年が過ぎ去ってしまいました。思うだけで何も出来ていない自分に不甲斐ない思いも感じ続けてきました。
また一方で、自分に何ができるかも考え続けてきました。

それぞれの思いがそれぞれのカタチをもって現れる復興、便利性や合理性を表面的に作り出すのではなく、既存のデザインコードで作るのでもなく、今の思いを率直に現すカタチを創る復興こそが大切なのではないでしょうか。
大地震の直後、世界を驚かせたのは、未曾有の状況下で理性的に振舞う、東北の人たちの人を思いやる態度でした。よその標準をここに持ち込むのではなく、現地の人たちが自分たちが創ったと実感できるものを新たに創り出すことが真の復興を意味すると思うのです。そして、それを一緒に創るお手伝いができれば幸いです。


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今を生きる私たちの矛盾

07.31 Wed | Category: COLUMN

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ビルは空高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 得る物は少なく
たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても センスはなく
知識は増えたが 決断することは少ない

専門家は大勢いるが 問題は増えている
薬も増えたが 健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である
持ち物は増えているが 自分の価値は下がっている
喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか 憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 人生を学んではいない
長生きするようになったが 長らく今を生きていない
月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えない
世界は支配したが 内世界はどうなのか
前より大きい規模のことはなしえたが より良いことはなしえていない

空気を浄化し 魂を汚し 原子核を分裂させられるが
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 待つことは覚えず
計画は増えたが 成し遂げられていない

たくさん書いているが 学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く 体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し 人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに 家族の争いは絶えず

レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない

夫婦でかせいでも 離婚も増え
家は良くなったが 家庭は壊れている

忘れないでほしい 愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 1円もかからない

忘れないでほしい あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを 心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は 傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 話し あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ



以上、これはアメリカのコメディアン、ジョージ・カーリン氏が最愛の妻を失った際に、ボブ・ムーアヘッドという牧師の言葉を引用して友人に宛てた手紙の一部を抜粋したものです。海の向こう側の事とは思えない程、私たちのものと重なっています。多くの人に見て欲しいと思い、こちらで紹介させていただきました。

みなさんも是非、ご一読ください!


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100年先を思い、建築をつくる

07.04 Thu | Category: COLUMN

去る20世紀をひとことで言うと、「技術革新」という言葉が真っ先に頭に浮かびます。そして、この技術革新は、世界中の経済を拡大させ、都市部を中心に大きな変化をもたらしました。その結果、都市に人口が集中していきました。また、それと同時に、自然はどんどん排除されていきました。人間は自然を支配できると信じていたのです。少なくとも、そう振舞ってきました。

しかし、私たちは2年前の大きな出来事により、人間の信じたテクノロジーは、自然の圧倒的な力の前で、無力であることを知ってしまったのです。

かつて、未来都市に夢を描いた人たちと同様に、今に生きる私たちも、これからの100年先を思う意識を高める必要があると思うのです。

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自然と共生する人間のための建築は、大量生産できるものでしょうか。均一化した建築は、人間をも均一化させてはいないだろうか、と思うのです。

あなたの理想的な居場所について、一緒に考えませんか。

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メタボリズムな建築

06.07 Fri | Category: COLUMN

メタボリズムというと、中高年の人たちがドキッ!とするような言葉ですよね(笑)。しかし、ここでいう「メタボリズム」は「新陳代謝」の意味で、1959年、社会の変化に応じて、有機的に成長する都市や建築を提案するものでした。その代表作とされる「中銀カプセルタワービル」がこの写真で、黒川記章氏の設計によるものです。思わず洗濯物を放り込みたくなるような、丸窓をもつユニットを交換しながら、新陳代謝をすることで社会の変化に対応しようと計画され、1972年に建築されました。
黒川氏が都知事選に出馬した際、自身でデザインしたという選挙カーの窓も丸だったことを思い出します。

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社会の変化に合わせて、有機的に成長する建築として提案されたこの建築も、アスベストや雨漏り等の問題もあり、築後40年余りで解体されることとなっているようです。
戦後の高度経済成長を見据えた、「メタボリズム」という提案は素晴らしいものです。しかし、社会の変化と言っても、例えば、一時は推奨されていたアスベストが、将来禁止されるという変化もある訳ですから、完成度を上げるのは容易ではなかったことでしょう。

都市や建築の豊かさを実現するため、「メタボリズムな建築」を再考。


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時の移ろい

05.16 Thu | Category: COLUMN

数日前、16棟あった同潤会アパートはおよそ80年に渡る役目を終え、遂に最後の一棟である「上野下アパート」の解体が始まることを知りました。同潤会アパートとは、1923年に起こった関東大震災の復興支援のために設立された同潤会によって、大正末期から昭和初期にかけて建てられた鉄筋コンクリート造の集合住宅です。

同潤会_上野下アパート

先にも述べたように、老朽化のため順次取り壊されてきた訳ですが、既に取り壊された一部のアパートに対して、歴史的建築物ということで、それらの保存運動が起こりました。しかし、建物の著しい劣化と耐震性能の問題で住人には建替え希望者が多かったこと、権利関係が複雑だったことや立地条件のいい場所が多かったために、建替えのメリットの方が大きかったことなどの理由で、保存運動は困難だったようです。

同潤会_上野下アパート

当時としては、先進的な計画や装備がなされ、居住者への配慮が行き届いたきめ細かな計画が評価されてました。都市の中間層が居住者として想定されたが、働く女性のためのものやスラム地区対策のものもあったといいます。特に、大塚女子アパートには、エレベーター、食堂、共同浴場、談話室、売店、洗濯室、屋上には音楽室、サンルームが完備された、当時最先端の働く独身女性の羨望の居住施設だったそうです。

同潤会_上野下アパート

今思えば、当たり前の設備がほとんどです。そんな現代に生きる私たちにとって、本当に必要なものは何なのか、設計者が果たすべき役割は何なのか、考えさせられます。

近年、老朽化した名建築の保存活動が話題になります。しかし、維持・保存に係る費用や土地の最有効利用などの側面から、その活動も容易ではないようです。つい先日も、吉田五十八設計による住宅が取り壊されることに決まったようです。私は、名建築がなぜ素晴らしいのか、巨匠と呼ばれる建築家はどんな気持ちで設計したのかという「精神性」を保存するという意識が重要ではないかと考えてます。


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